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地域産業研究会 地域活性化分科会 今後の活動に向けて(平成14年6月中間報告から) |
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これまでの経緯と今後の展開 |
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畳谷 勝雄(応用理学) |
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1.設立経緯
平成9年(1997年)3月末、3年間の東京単身赴任を終え札幌へ帰ってきた。青技協には設立から参加したが、防災研は設立直後に東京転勤となり私は何もしない内に成果報告書が出来上がっていた。人の輪を広げるため何らかの研究会に顔を出したいと思っていた矢先に、地域産業研究会の設立を知り、平成9年4月10日設立総会のパーティーに飛入り参加した。これが私の地域産業研究会参加のきっかけである。
以来、3年間の札幌のブランクを取り戻すべく積極的に出席したが、洞爺村と然別の現地研修旅行は私にとって何よりの仲間形成の場となった。平成11年3月のエゾシカシンポジウムに準備幹事で取組んだことで仲間意識が更に醸成された。
準備幹事の内、岩崎氏、有山氏、北越氏、畳谷の4名が、当時地域産業研究会の方針であった分科会設立に対して賛同し、平成11年4月から寿都町を対象地域とした地域活性化分科会の立上げに動き出した。
寿都町をテーマにしたのは、岩崎氏と有山氏が農業農村形成によるまちづくりを寿都町で行っていたこと、北越氏は小学生時代に寿都町住民であったこと、畳谷は水産やGISで寿都町に顔見知りがいたことからであり、農業(岩崎)、観光(有山)、河川環境(北越)、海洋(畳谷)の4分野の人間が居て、4人が動けば活性化研究の何かができると勝手に思い込んで始めたのである。
2.最近思うこと
現在の幹事6名の内、有山氏と柴田氏を除いた岩崎氏、北越氏、戸舘氏、畳谷の4名(66%)が、3年間の内に活動基盤(会社)が変った。時代の変化とも受取れるが、地域活性化というテーマに取組むと人格形成が変な方向に向い我慢が不足するのではないかと思えてくる。
言い換えれば、決断力が付き意見を言うようになったのであろうか?
地域活性化やまちづくりの原点とは、その時代に合った生き方を先取りし、実践していく勇気と仲間づくりに対する説得力がある指導者の出現にあるのではないかと思う。
まだまだ指導者には成り得ない私であるが、共に考え実行に結びつけるキッカケを創れれば良いかなと最近思うようになっています。
3.今後の展開について
ニシンの大漁景気で発生した寿都文化は寄進者の寄付によるところが大きく、漁業の衰退とともに豪華さを継承することが困難になるであろう。
寿都町の文化を再興するには、基幹産業を明確化することが必要であり、基幹産業となりえるのは水産業であろう。水産業の充実により経済力基盤を固め、周辺産業へ波及効果を及ぼす発展方向を見出すことが必要である。
このような状況の中で、分科会一員として取組める活動は、以下の視点である。
@ 成功・失敗事例の紹介
A 地元の人の活動方向に対する側面支援(補助事業の紹介、人脈紹介、お手伝い)
B 専門技術の提供による町民のアイデア力・発想力の強化
これまでは行政との連携が強かったが、今後は経済力強化は民間事業者の底上げが急務という認識を新たにし、極力民間・住民との接点を多く持つ機会を重要視する。
この接点と交流の中から、上記の@〜Bの議論・行動を通し、お互いに認め合える組織にして活動する中で、何らかの共通認識が持てるのではないかと考える。
これより、今後の展開としては、自分の資質向上を最優先にするとともに、これまでの継続的お付き合いを基礎とした地元事業者との議論、及び交流の機会を多くすることを考えたい。
最終的には寄進者となり得る成功者を誕生させることになるが、段階的には地域を真剣に考えるリーダーの誕生が地域活性の第一歩であることを基本とし、そのために我々の存在と、我々の力添えが役に立てば幸いである。
このことから、今後は寿都町の民間事業者や住民との交流の場を作ることを活動の方向と考える。
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