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地域産業研究会 地域活性化分科会 今後の活動に向けて(平成14年6月中間報告から) |
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ほんの少し見えてきた「寿都」 |
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板垣 恒夫(林業部門) |
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◎美谷漁港での「カキ祭り」のにぎわい(5月12日)
活性化分科会のメールでの案内、北越さんからいただいたカラーの宣伝チラシ、女房が大の「カキ」好き、等々の理由でカキ祭りに参加した。11時に開祭なので、札幌からは早めに出ないと売り切れてしまうのでないかとの心配から、7時にマイカーで出発した。途中、倶知安に寄って息子と合流し尻別川に沿って磯谷、美谷港へと走った。10時前に会場に着いた。天候もまあまあ、客の出足が早く、会場では売買がはじまっていたし、「ホタテ汁」も配られていた。
東野課長さんが「カキ販売会場」で忙しくで立ち回っていました。顔をみて、お互い挨拶です。まだ、活性化の皆さんきていません。女房は早速「生カキ」を購入、3人で10個いただきました。新鮮で大きくて食べ応えがありました。自宅には「10個入りハッポウスチロール」を持ち帰った(10個買うとホタテ3個がおまけ)。
10時すぎ、北越さん、柴田さん、井上さんと逢うことができた。テントのテーブルでホタテ焼きなどをさかなにビールを飲みながら歓談。お客さんが立て込みだし、関係者はテンテコマイの状況。マイカーで駐車場は満杯のため、誘導員は汗だくの様子でした。この時点での活性化分科会参加者4名は賑やかな会場の中で証拠の写真撮影をしました。
寿都町役場・漁業協同組合主導?のカキ祭りには、商工会の積極的な応援もあったのだろう。また、体験乗船など他のイベントも用意されていて、町外からこられた方々には少々浜風が冷たいなか楽しい一日を過ごしたものと思われました。
◎ 寿都漁港でのおさかな市(6月2日)は雨のなかでした。
カキ祭りの楽しさ、もっと寿都を知りたいことの興味もあり、今回は宿泊を入れて参加した。
6月1日(土)は曇りときどき晴れの天候、期待に胸をふくらませ札幌を9時に出発した。倶知安経由、手打ちソバのおいしい「楽一(ニセコ)」でセミの合唱を聴きながら昼食をとった。黒松内町に入り、寿都と少し町並みの違う駅前周辺を眺めてから、寿都に向かう。「ゆべつの湯」には3時半過ぎに到着。女房ははじめてで、満足。展望台は風車とほぼ同じ高さで、朱太川の蛇行と周辺の状況をくまなく見渡すことができた。全体観の把握は大変役に立つことを再確認した。4時半に、今夜の宿泊先「M旅館」についた。寿都劇場(映画館)を旅館にしたもので大変かんろくがあり、女房はびっくりしていた。工事関係者の定宿で、料金は格安。見た目の感じがいまいちの感があり、若い人達は敬遠しているようだ。若おかみさんがすこぶる元気で、料理は浜でとれた魚介類が食べきれない状況でした。
「ゆべつの湯」でお風呂は済ませてきたので、散歩に出掛けた。お寺の多い裏街道を歩き、家庭の花々を観賞して歩いた。皆さん手入れが行き届き、楽しませてもらった。が、空き家が目立っていた。お寺はあまり手入れがされていないようで、歴史を誇る寿都としてはどうなのか。寿都町総合文化センターまできたら、まだ開館中なので、図書室に入ってみた。いろんな書物が沢山ならんでいるが、もう少しあってもいいようだ。活性化分科会会員で、自宅の書物を寄贈したらどうだろう。かえって迷惑だろうか。文化センターの閉館は午後8時までとなっていた。町民のためには遅くまで開館しているのがいいのだろう。ただ、来場者が限られているようでした。散歩は、さらに国道を下がり商店街をあるいた。明日の「磯遊び」のことなど誰かに聞きたかった。祭りの前日なので外部からのお客がきているのかと思って各旅館の駐車場をみたが、そんな様子はみえなかった。ほとんどは当日参加のようでした。8時近くなり、そろそろ暗くなり始めたので、商店街の酒屋でショウチュウ(180円)を買って旅館にもどった。与えられた部屋は12畳は優にあり、テレビが一台、ドアはカギがなく、床はミシミシと音がする。自分はあまり感じないが、独特の臭いもして、女房は多分ねれないだろう。こんな経験は本当に大事なことかも知れない。立派なホテルでは、生の情報が入ってこないし、入っても身体にしみこまないだろう。蚊取り線香を探してきてなんとか臭いを緩和できた。ショウチュウを飲みながらサッカーを観戦していた。明日は「樽岸海岸の磯解放」があるので、9時すぎにお休みした。夜中に目覚めると、雨の音がしていた。今日は、雨の中の磯遊びとお祭り参加かと気落ちしつつ朝をむかえた。
2日は6時起床、7時に食事と予定どうり、雨があがり期待して食事をとる。大盛りの卵焼き、ホカホカの紅まるジャガイモとバター、大盛りサラダ、等々。若おかみさんに寿都町の様子などお聞きした。おかみさんは商工会の婦人部に参加活躍しているのでしょう。町のなやみの一つ「お嫁さん問題」のお話をしてくれた。商店街の店では若主人が頑張っているが、お嫁さんがこない・見つからないとのこと。かつて、寿都町の人口は2万人いたが、現在は4千人と減少、子供達は成人すると札幌方面に行ってしまい帰ってこないと言う。家族構成は3世代同居が普通で、お嫁さんのこない原因はそんなところにありそうです。寿都の町並みは道北の漁村風景とくらべても明るく活気があり、まだまだ期待がもてると感じた。活性化分科会のアドバイスが、寿都の上昇気流になってくれればいいのですが。
8時から磯場解放のため7時半過ぎに宿を後にした。雨があがったようでホットしながら、まずルールなどの確認のため漁港漁業協同組合を訪れた。「おさかな市」準備のために関係者が集まりだしていた。会場で東野課長さんと逢うことができ、樽岸海岸の磯場解放区域図をいただくことができた。磯場を物色し、建岩トンネル付近に場所を決めた。磯場に着く頃から小雨がはじまり、長靴をはきバケツをもって崖路をくだるころ本降りとなってきた。片方にコウモリガサを持っての磯遊びはなかなか技術のいることがわかった。潮が引いているので可成り遠くまで岩場が顔をみせていた。自分たちのほかには数組の家族しかいなかった。なにを採っているのか見て回ったがあまり芳しくないようだった。自分たちは小さいツブのような貝があったので集中的にその貝を採った。毒のある貝があるので気をつけるようにと宿の若おかみさんに聞いてきたが、そんなものわかるはずがない。また、アサリがあるはずだったが見つからなかった。ヒトデも採ってきた。これは干してから肥料にするためです。ウニはとってはいけないが、見つからなかった。雨は土砂降りです。お客さんが磯場の駐車場にくるのですが、雨のため帰って行くのが多かった。それでも、何人かは磯場に入ってきた。こんなになにも採れない磯場をあてがわれてもしようが無いとの苦情も聞いた。1時間ほど雨の中を頑張り、小さなバケツ半分くらいになったのと風邪でもひいたらとの心配もあって、磯遊びを切り上げることにした。崖路は雨水が流れ、苦労して車にたどり着いた。びしょぬれのため、着換えを車の中でおこなった。
港の「おさかな市」には10時くらいについた。駐車場は防波堤に沿って用意され、案内に従って何とか駐車することができました。雨のなか、この時間帯にもう車でいっぱいです。会場では販売が始まっていました。農産物も販売対象で、アスパラ・じゃがいもを安く買うことができました。札幌からの参加予定者はまだ来ていない。ホタテのみそ汁は100円で、自分たちは雨に当たってきたこともあり、早速いただくことにした。おいしそうな魚が並べられ、箱詰めされているコーナはなんだろうか、聞いてみると11時からの「セリ体験コーナ」でした。まだ、時間があるのでそちこちをウロウロした。町長さんが黄色のヤッケ?を着て「販売」にタッチしていました。だんだんと人が混みだしてきました。さあ、セリ体験の始まりです。ひらめの箱詰めが千円で早く声を出したほうが勝ちです。はじめての自分たちは圧倒されるだけ、それでも頑張ったかいもあり、ヒラメ、ホッケ、イワシの新鮮なものを安く買うことができました。車までに「おさかな」を運びしました。漁船仕立ての、体験乗船では待合いが始まっていました。雨の中、弁慶岬までの30分にわたる往復です。
自分たちは、昼ご飯として「ホタテの炊き込みご飯」を購入て、帰り支度です。お昼少し前、岸壁の駐車場に行ったところで、畳谷さんご夫婦に逢うことができました。今日は1日中雨なのだろうか、できれば雨があがってほしい、そんなことを祈りながら寿都の町にお別れした。
活性化分科会の行事を含め何回か寿都の町を訪れることができた。二十数年もむかし、「寿都の浜チャンポン」が食べたくてわざわざ立ち寄ったこともあった。浜チャンポンには大きなイカとホタテなど海の具がたっぷり入っていて、満足したものだった。今はどうなのだろう。自分のその後における寿都町とのかかわりは、活性化分科会への加入以後です。やはり、人口減は町の経済におおきく影響しているようです。お嫁さん問題が漁業者だけでなく、商店にも及んでいる現実、町の活性化へのヒントがどこかにあるのだろうか。いろんな問題が道内各市町村をおそっています。町村合併がさしせまったところもあるようです。
活性化分科会が今後とも寿都町をフィールドにいろんな専門的観点から研究を深め明るい方向性さぐり当てることを期待します。そのために、分科会活動に参加し勉強したいのが、今の気持ちです。この2回のイベントは実に楽しいものでした。
以上
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