第64回工業技術研究会
日時 平成9年2月6日(木)午後2時〜5時
場所 札幌市中央区北4条西5丁目アスティ45ビル
北海道開発コンサルタント(株) A会議室
出席者数 20名
情報交換
講演 ”生態系の保全と地質調査”
(有)ジー・エイ・シー
代表取締役 五十嵐敏彦 氏
<要旨>
1.はじめに
山には山の、川には川の生物や景色があり、これを子供や孫たちに伝えていこうといったことがここ数年来、当たり前になってきた。10年前なら一部の自然保護活動家が口にした言葉を、今は真顔で役人が口にする。
その結果、あちらこちらでエコロード(注)が、どこでもここでも多自然型(注)の河川改修が行われるようになった。それはそれで結構なことだが、?と首を傾けたくなることも一度や二度のことではない。
本当に理にかなった「生態系に優しい・…」を進めようとするならば、目先の対象生物だけではなく、これを含む全体像、その中には当然地質や地形の理解を忘れてはならないことを、建設環境と地質を専門とする立場から述べてみたい。
2.「地質」と「生態系」の関わり
「地質」と「生態系」は何の関係もない、と言われればそれまでだが、筆者は「地質」と「生態系」は大いに関係し、
@「地表面現象」を理解するには「生態系」の様子が非常に参考になる
A「生態系」を理解・解釈するにはその土台である「地質」が密接に関わることを強く感じるようになった。
@に掲げた「地表面現象」を理解するための「生態系」観察は比較的古くから行われており、特に砂防計画に携わる林学関係者の間では常識とさえなっているが、いわゆる土木地質に関わる地質技術者が、土壌や植生に注意を払う状況までには至っていない。
これに対し、Aの「生態系」の成立(現時点での姿)が「地質」から解釈される場合がある、とする考えはやや突飛な感があって余りお目に掛かることはないが、その例として、筆者が担当したあるエゾシカ越冬地と地質との関係を紹介する。
(注)
エコロード :地 域の自然環境や生態系に配息した道づくりで、路線の回避や影響の最小限化、あるいは生息域の移設・代替え措置。
多自然型河川改修工法 : 過去に行われた三面張り護岸工を反省し、木や石といった自然の材料を用いて護岸する、または新たな生息環境を積極的に創出しようとする考え方。北海道開発局ではAGS工法と呼んでいる。
3.ミヤコザサ群落の成立と地質構造
業務目的は「自然環境に配慮した新設道路の路線選定」という、いわゆるエコロード計画である。
対象地では地質調査や植生調査が行われ、計画ルートを絞り込んだ。
しかし、本命案を含めて計画地の周辺には沢山のエゾシカが生息しており、道路を新設した場合にはこれに起因する交通事故の頻発が懸念された。実際、道東地方ではエゾシカに起因する交通事故が頻発しており、社会間題の一つになっている。
現地で確認した事故資料の解析では、事故は繁殖期の季節移動や採餌のための日移動に関連することが判明した。季節的には交尾期に当たる初冬に最も多く、時間帯では採餌と重なる夕暮れ時に多い。特に初冬は勤め人の帰社時間と夕暮れ時とがほぼ一致するため、事故が集中的に発生する。しかも、ほぼ同一地点で繰り返し発生する例が多く、その地点は採餌場とねぐらを結ぶシカ道の周辺である。エゾシカは主にイネ科の植物(人家の近くであれば牧草)を好んで食べるが、雪に閉ざされる冬場には背の低いミヤコザサなどを主に採餌する。周辺にミヤコザサが生育しない地域では、樹皮や冬芽を採餌するため、こちらの方は農業被害の一つとなっている。
調査地の現地観察では計画路線を横断する明瞭なシカ道が数条確認されるほか、ミヤコザサ群落からなる越冬地も確認された。
このような背景から、シカに起因する交通事故を防止する対策として次のような対応を検討した。
@路線上にシカ出没の警告板を設置する
A路線沿いにシカが嫌う刺激物を設置し、シカの集合を予防する
B道路の両側を全てフェンスで囲い浸入を防ぐ
C路線横断の機会を減らすために、ミヤコザサ群落をねぐら近くの林縁部に移設する
D路上に浸入させずに路線を横断させる構造物(シカ用のトンネルや橋)を構築する
このうち比較的確実な効果が得られるのはB〜Dで、かつ安価に行えそうなのがCの移設である。
しかし、ミヤコザサはなかなかデリケートな植物で、積雪が70cmを越える個所や日当たりの悪い個所、あるいは急斜面では生育が悪く、越冬地となるような大きな群落が成立しない。
このような視点で越冬地のミヤコザサ群落と他の植物群落とを比較すると、越冬地には他の地点にはない次のような相違点が認められた。
@伐採跡地で樹林密度が小さく、明るい
A真南を向いた日当たりの良い斜面で、積雪が少ない
B斜面傾斜と地層の傾斜が一致した流れ盤斜面で、緩斜面が生まれやすい
このうち、特に「真南を向いた緩斜面」は周辺にはない条件で、南側を向いた斜面でも地層の傾斜方向に斜交する場合には、斜面傾斜がやや急になってミヤコザサの大きな群落がない。また、移設を考えた対岸の樹林帯は地層が受け盤で傾斜がきつく、しかも北向き斜面で日当たりが悪い。このような状況から、越冬地以外にミヤコザサを移設しても良好に生育する可能性が低いことが判明した。
このようにミヤコザサーつをとってみても、それが生育しやすい条件は、地質をべースとする地形に気象が加わった地表の環境が規定している。もちろん植物相はそれ自身で変化し、現在の姿が全てではないが、少なくとも現在ある姿の解釈として、「生態系」の一部は、明らかに「地質」を起点とする因果関係の中にあると考えることができる。何気なく見ていた草や木の一つ一つが、実は地質や地形の諸々の反映なのだ。
なお、ここに例示した件ではミヤコザサの移設を諦め、シカ専用のトンネルや橋を設置または計画している。現在、餌付けを始めとしてそれらの構造物に誘導するための改良策を行っているところである。
4.埋もれた低々水路
「多自然型河川改修工法」は、渇水期にも魚が住めるよう、川底に蛇行させたさらに小さな川(低々水路)を掘り込んだ工事である。この工事では低々水路の護岸に木や石を使い、低水路護岸も覆土で覆った隠し護岸とするなど、それなりに気を使った「標準的な多自然型」を採用している。
河川改修そのものの目的は、融雪期に砂礫が流れ込んで河床を埋設し、夏場の渇水期に澪筋が消えて魚の生息が困難となることから、生息に必要な流量を確保しようとする対応であった。また、低々水路を蛇行させた理由は、流れに変化を持たせて魚の休み場所や泳ぐ場所を造ろうとしたものである。
しかし、工事後の調査では元々そこに住んでいたであろうと思われる多様な魚種はほとんど見られず、遊泳力に富み環境変化に強い限られた魚種だけがわずかに認められるのみであった。しかも、造成した低々水路は数年を経ずしてほとんどが砂礫で埋められてしまった。
魚の生息が不十分であった原因には様々な理由が考えられるが、上下流の自然河床区間と比較すると、
@改修区間では隠し護岸上にヤナギを植栽しているが、それ以前に存在していた河畔林や下草を皆伐したため、魚の隠れ場所となる日陰がない
A同じく河畔林がないため、陸生昆虫の供給がない
B蛇行させて流速に変化を持たせようとしたが実際には大きな変化が生まれないCむしろ水深に変化がなく全般に浅いため流れが単調
D日陰がなく水深が浅いため異常に水温が上昇する
などの相違点が認められ、いずれの点も魚の生息には不都合な条件であると判断される。
現時点では多自然型工法の実績も少なく、事前にこのような結果を予測することは困難な面も多い。しかし、創り出そうとする河川環境がその地点に即したものであるか否かを検討することは重要である。その鍵を握るのが地形・地質・植生などの周辺状況の観察である。
この工事では流速に変化を持たせる目的で、幅2m程度の低々水路を平面的に蛇行させた。しかし、実際にはこのような上流域の細い自然河川が蛇行を繰り返している例は少ない。むしろ大小の礫が作る瀬と淵など、水深の変化の方が大きいはずである。
このことは地質屋を始めとする野外観察者にとっては当たり前のことだが、「標準的な」工法にはこのような個別的なその地点の特質が入り込む余地は無い。もっとも、この例のように砂礫が流れ込みやすい所に、このような工事をする必要があったのかどうかがそもそもの疑間ではあるが?
5.おわりに
筆者は「地質」と「生態系」の関わりに関心を持っているが、地質学や生態学の教科書にはこのような観点が未だ明確には示されていない。
そのためでもなかろうが、地質屋はせいぜい地形を気にする程度で、土壌や植生にまで気を配ることがない。一方、生物屋は土壌ぐらいまでには目がいっても、その基になる地質にまで気を配ろうとはしないのが現状ではなかろうか。全ての生息環境が地質の影響を受けるとは言わないが、それぞれの生息環境は明らかに地質や地形を土台とする地表変動の因果関係の中にある。言い換えれば、現在の生態系は地球規模の時間スケールの中から生み出された空間の一断面である。
であるとすれば、開発と称する急激で大規模な人為的な行為は、生態系にとって自然の摂理に逆らう好ましからざる行為であることは明白である。
それでも何らかの理由でそれを行うのなら、本当にその行為が必要なのか、子供や孫の時代に後ろ指を指されるようなことになりはしないか、今一度考えてみる必要があるのではなかろうか。
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