公益社団法人 日本技術士会北海道本部

第41回工業技術研究会
日時 平成5年4月8日(木)午後2時〜5時
場所 札幌市中央区北4条西3丁目北海道建設会館2F
   北海道開発コンサルタント(株)

出席者数 16名
情報交換
講演 札幌市の地盤
    ”ボーリング資料が知らせる大地の営み”
     北海道土質コンサルタント(株)
        取締役技師長 二ツ川健二氏

<要旨>
1.地盤図の紹介と地質のエピソード
約7100本のボーリング資料を解析して作った2万分の1の札幌表層地盤図が紹介された。札幌市には本格的な地盤図は未だないが、この地盤図の特徴はボーリング資料に基づいて、2m深の土質分類を忠実に行った点である。地盤図から次のような地質のエピソードを読みとることができる。
(1)JR函館本線は豊平川扇状地と北部低地の境界を通っており、扇状地末端の湧水を求めて踏み分けられた古い街道がJR線のルートに発展した。
(2)市東部の「大谷地」はその名が示すごとく厚い泥炭地であり、第四紀に入ってからの沈降帯であることが泥炭の堆積と関連しているかも知れない。
(3)札幌北部低地には数条の砂層の連なりが見られ、旧豊平川の流路を示すものと思われる。
2.札幌北部低地の地盤形成史を考える
(1)北部低地に分布する3条の砂層は、この間に二枚の泥炭層を挟むことによって、上下関係を区分することができる。断面図で追跡すると東側の砂層程新しいことがわかり、北部低地で豊平川は流路を東遷している可能性がうかがわれる。
(2)泥炭と砂層の下部には厚く軟弱な粘土が分布しており、北部の都市開発で支障となっている。この粘土は6千年から1万年前の沖積世初期に、石狩湾が内陸深くまで侵入していた時の海成粘土に対比され、鋭敏比が高い。
(3)これらの土層の下部には、豊平川扇状地に連なる砂礫層と、支笏カルデラ(現在の支笏湖)から流出した軽石流堆積物の火山灰とが分布する。支笏軽石流堆積物の流出時期は今から約3万年前の洪積世末期と分かっているので、砂礫層と火山灰の上下関係を調べることは、豊平川扇状地がいつ形成されたかを知る上で重要である。
3.サッポロ川の自然堤防
豊平川は札幌市の中心を流れる都市河川であり、その扇状地上に中心街が発達する。北部低地では現在はショートカットされて石狩川に合流するが、豊平川の旧流路には殆ど自然堤防が見られない。地盤図では逆に「伏篭川」という小河川沿いに立派な自然堤防が分布する。
伏篭川の名は「フシコ・サッポロ川」を短くしたもので、フシコはアイヌ語で古いという意味である。つまり自然堤防が発達する伏篭川は古サッポロ川である。サッポロ川は江戸時代末期に洪水によって旧豊平川の方向に流路を変え、それ以後時代を経てサッポロ川は伏篭川と呼ばれるようになった。
札幌は開拓期から計画都市として発達し、整然とした街路で仕切られているが、この伏篭川沿いにだけは著しく屈曲した札幌には珍しい道路がある。嘗て元村街道と呼ばれた道で、自然堤防の上に自然に踏み分けられた往還が元になっている。
この街道の入口が明治から大正期に元村銀座と呼ばれた繁華街であり、フシコ・サッポロ川の源流部がサッポロビール第1工場の跡地であることなどは、地盤図に見られる自然の営みを巧みに人間が利用した例として興味深い。