第40回工業技術研究会
日時 平成5年2月4日(木)午後2時〜5時
場所 札幌市中央区北4条西3丁目建設会館
北海道開発コンサルタント(株) 2F会議室
出席者数 15名
情報交換
講演 ”北海道に於ける都市建設の特殊性と都市圏の中心都市の
市街化の動態について”
水島技術士事務所
所長 水島八郎 氏
<要旨>
1.はじめに
本論に先立って日本都市計画の展開を戦前、戦後から現在までを時代区分して説明。
(1)明治4年〜22年(1871〜1889年):牛肉を食べて帝都の体裁を整えようとした。北海道では開拓使顧問にアメリカの農務局長ケプロンを招いて計画都市の建設に着手。(2)明治23年〜大正8年:都市計画法、市街地建築物法の成立。(3)大正9年〜昭和12年:関東大震災発生、日中戦争始まる(蘆溝橋事件)、帝都復興完了と共に防空都市計画へと。(4)昭和13年〜20年:日中戦争から太平洋戦争へ突入、124都市が焼失、そして終戦。(5)昭和21年〜29年:食糧増産、治山治水、戦災都市の復興、生産再建。(6)昭和30年〜現在:都市人口集中、技術革新、高度成長、自動車の激増、公害発生、環境悪化等を述べる。
2.北海道の都市建設の特殊性
北海道の都市の市街地形成過程は大別して次の三つの型に分けられる。
(1)漁業基地より自然発生的な沿岸都市(福山、江差、函館、小樽、釧路など)。
(2)移住地(屯田兵村)に建設された中心市街地に発祥(北見、士別、江別など)。
(3)計画都市として人為的に建設された内陸都市郡(札幌、旭川、帯広など)。
(3)の、いわゆる計画都市は開拓使顧問ケプロンによって計画され、わが国の都市形成および都市計画上、極めて特異な地位を占めている。北海道の人口は平成4年に565万人のうち札幌170万人、旭川36万人、帯広17万人で、この3市で223万人と全道対比40%の実績を示す。さらに北海道の中小内陸都市の多くは開拓使時代の「植民区画の測設によって市街地、農耕地が開発されてきた。
3.都市圏の中心都市の市街化の動態
本州の大都市周辺の市町村と異なる特質や都市形態を示す都市と都市圏、特に中小都市を対象として、
(1)都市圏の形成の実態とその広域化現象の動向。
(2)都市圏の広域化の内容及び圏内市町村の人口・市街化の動向と特質。
(3)都市圏の中心都市の市街化動向と特質。
このため今後の北海道の広域都市圏が抱える課題の内容と多様な方法論の存在を探ってみた。
4.まとめ
(1)北海道の都市建設の特殊性を歴史的、社会及び経済的背景から捉えた。また都市圏の形成と市町村の市街地内部構造の動態が示す特質と課題につき、広域都市圏の類型及び都市規模から比較検討を行った。
(2)昭和40年代前半以降の人口増加、減少はいずれの地域でも都市圏形成とその拡大化が顕著で、五つの類型を識別した。その圏内の市町村間の流動性、人口の安定化傾向に差異あるも、中心都市の都市圏人口の安定化は認められるが、一都市集中型の広域化とは異質な広域都市圏の形成と理解される。
(3)10万人以上の線引き都市と、10万人以下の線引き中小都市の市街化区域(用途地域)内の市街化実態と人口密度構成に顕著な差が認められる。なお全道で32都市中、その70%の都市が10万人以下で市街化区域未設定である。
今後、北海道の広域都市の計画的検討の際はその市街地構成上の特質と課題、その中心都市の都市圏における位置づけと可能性の明確化の必要があろう。
(4)北海道の都市圏を構成する諸都市の市街化区域(用途地域)内の人口密度は、全国地方都市の平均を下回り、中小都市は大きめの計画枠組のように推量される。
適正規模の市街化設定に際して今後の妥当性の検討が必要であろう。
(5)都市圏の中心都市の都心域は、圏域の中核的地区の潜在能力を高め、今後とも空間的構成の変容と拡充は進行してゆくであろう。
また、既成市街地の人口密度の低減は世帯分離、世帯毎の転出、賃貸住宅層の転出入などによる住み替えが主要因と考えられる。今後、両者は圏内の人口移動の機構、都市内人口移動と連動し捉え、都市及び都市圏の整備計画の検討が求められよう。その際には北海道の発展の可能性、特に北東アジア臨海経済圏の中の北海道の役割を位置づけ、今後の広域都市圏の展開方向を持つ必要があると結んだ。
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