公益社団法人 日本技術士会北海道本部

第10回工業技術研究会
日時 昭和63年2月9日( )午後 時〜 時
場所 
   
出席者数 名
情報交換
講演 ”防錆防食の理論”
北海道工業大学
         北村  義治 氏

<要旨>
1. 腐食の機構
工業用として用いられる材料は大別すると、金属材料、有機材料、無機材料の三種に分けられる。これらのうち主要なものは金属材料であるので、ここでは主として金属の腐食機構について述べる。
実用金属材料として用いられるほとんどの金属は、本来、天然には酸化物、硫化物など化合物として存在するもので、これらを還元して得た金属は熱力学的に不安定なものであり、常に腐食する可能性を有していると考えてよい。したがって、実用金属が耐食性を有するということは、腐食がまったく起こらないのではなく、単に腐食の進行する速度が小さいにすぎないといえる。このことから金属の腐食を考える場合は、腐食進行の可能性を論ずる熱力学的考察とその速さを論ずる速度論的考察の両面から考え、またこれらを混同しないことが必要となる。
金属の腐食は通常、水溶液中で生ずる湿食と乾燥ガス中で生ずる高温酸化などの乾食に分けられる。これらはいずれも機構的には同一と考えてさしつかえない場合が多いので、以下、電解質水溶液中で生ずる湿食について考察することにする。この反応は一般に電気化学反応であることが知られている。
● 局部電池による腐食
酸性水溶液中で生ずるFeの腐食を例にとって考える。
金属体を通し、電子がアノード部からカソード部に移る腐食反応は系内に存在する二種以上のアノード、カソード反応の組合せとしておこるが、この中でいずれの反応が可能かは、次に述べる熱力学的考察によって知ることができる。
● 腐食反応の熱力学的考察
腐食反応は化学反応の一種であるので、その反応が自然に進行しうるか否かはすべてその系の熱力学的な性質、すなわち生成系、反応系の自由エネルギーの差による。腐食反応は電子の授受を伴う電気化学反応で、一般に反応系、生成系が標準状態にある場合の電位は電子力学的に計算できる。
したがって、アノード反応、カソード反応の組合せである腐食反応が進行するためには電子的なバランスが必要で、これが逆であるような条件の腐食は存在しない。たとえばO2を含む酸性水溶液中のCuはO2の還元反応をカソード反応とする腐食はおこるが、H+のそれではおこらない。すなわち脱気した酸性水溶液中では他の還元反応系が存在しないかぎり、Cuは腐食しないといえる。したがって、アノード反応のおこりやすさ(腐食のしやすさ)は、金属とそのイオンの間の平衡電位が卑なものほど大といえる。
● 速度論的考察
(1) 分極と活性化過電圧
平衡状態にある電極を外部より電圧を加えて平衡からずらした場合を考える。この状態を分極と称し、外部より加えた電圧を過電圧という。
これはアノード方向に過電圧だけ分極したとき、これにより外部アノード電流が流れる。カソード方向に分極するときは、外部カソード電流が流れる。すなわちアノード分極によりアノード反応が加速され、カソード分極によりカソード反応が加速される。
このように、溶解あるいは析出のためのエネルギーの山を越えさせるに必要な過電圧を活性化過電圧と称する。
(2) 濃度過電圧
アノード溶解反応において、溶出イオンの逃散速度よりも溶出速度が大なるとき、またカソード還元反応において電極面へのイオン拡散速度が、放電反応に追いつけないときは、限界拡散電流が観測され、この現象はとくにカソード反応に著しい。
(3) 抵抗過電圧
金属の表面にイオン透過性の被膜が存在するとき、これを通して電流が流れるとこの抵抗による過電圧(抵抗過電圧)が生ずる。
電極を分極するさいの総過電圧は、前述した活性化過電圧、濃度過電圧と抵抗過電圧との総和となる。
通常、腐食反応などでは、これらのうちアノード反応では活性化過電圧のみが、またカソード反応では活性化過電圧と濃度過電圧が問題となることが多く、抵抗過電圧はそれほど大きな問題となることはない。
●腐食系 − 複合電極反応 −
腐食系では、同一電極上で二種以上の電極反応が同時に生じている。すなわち複合電極反応であるが、これに関しても単純電極反応と同様の考え方により考察することができる。この考え方は、古くWagnerとTraudによって提出された分極曲線の重ね合わせの原理、または混成電位理論に基づいている。すなわち複合電極反応系では外部電流が0の電位において、アノード反応の電流の総和とカソード反応の電流の総和は相等しい。腐食系ではこの電位が腐食電位となる。したがって腐食電位はアノード反応、カソード反応のいずれの平行電位でもない。すなわち両反応の速度が等しい電位まで分極された電位であって、しかも外部にはまったく電流が流れていないことに注意しなければならない。
● 不動態
ある種の金属は、熱力学的に当然相当の速度で腐食することが予想される環境で、きわめて腐食速度が小さい状態をとることがある。このような状態を不動態という。不動態は一般に、金属表面上にきわめて薄い酸化被膜が生成することによる腐食側度の低下に関しての名称であるが、広義にはこのほかにたとえばH2SO4溶液中の Pbなど、不溶性腐食生物の被膜による腐食速度の低下までも含めて不動態と称することがある。
これらに含まれる材料は鉄鋼、ステンレス鋼、その他の含Cr合金、アルミニウム、チタン、ジルコニウムなどがある。

2. 材料の防食方法
ここでは主として水溶液中で生じる金属の腐食を防止する方法について考察する。金属の腐食は熱力学的因子と速度論的因子に支配されつつ自然に進行する電気化学反応であるので、この反応を起こらなくするか、あるいはその速度を遅くする方法も熱力学的方法と速度論的方法に大別される。さらに、このほかにもう1つの方法として金属を環境から遮断してしまう方法も存在する。ここでは化学装置材料の腐食を防止するために一般的に行われている方法をこれら3つに分類して説明する。
● 環境からの遮断
腐食する金属をそれが置かれている環境から隔離してしまう方法は、防食法として最も簡単に考えつくことであり、古くから種々の方法が行われてきた。たとえば、目的とする環境に耐食的な有機物のライニング、コーチング、塗装、ガラスなど無機物のライニング、コーチング、金属のライニングやメッキなどがこれに含まれる。ここではいずれもいわゆるピンボールなど欠陥がなく、同時にこれらを通してイオンの移動は行われないという完全な膜として扱うが、現実にはとくに有機物の塗装などはこの条件を満足していないこともある。厳密にいうとこのような場合は環境からの遮断とはいえず、単なるイオン電導の有限大きさの抵抗として作用するだけで後述する速度論にもとづく防食の項に入れるべきであるが、ここでは理想的なものとみなしてこの項で論ずる。
これらの方法により防食された材料は、耐食的には表面の隔離膜を構成する有機、無機、金属の各材質単独の腐食挙動そのものであり、下地金属(主として炭素鋼)は単に機械強度を保つだけの役割しか果たしていない。
● 平衡論にもとづく防食
熱力学的見地からみると腐食が自然に進行する条件は、その腐食系のカソード反応の平衡電位をEc、アノード反応のそれをEaとすれば
     Ec>Ea
であるときである(このときの腐食電位EcorrはEcとEaのある値をとる。すなわち、Ec>Ecorr>Eaの関係が成立する)。
したがって、このような系の腐食を熱力学的におこらなくするか、または駆動力を小さくするためには、金属を一定のものとすればEaは変えることができないので、@EcをEaに近づけるか、またはEaよりも卑にする。AEcorrをEaに近づけるか、またはEaよりも卑にする。の2つの方法が考えられる。具体的には、前者には環境中の酸化剤の除去、後者には陰極防食などが含まれる。
● 速度論にもとづく防食
金属の防食法としては、先に述べた熱力学的に腐食をおこらなくする(または駆動力を小さくする)方法のほかに腐食はおこるものとしてその速度を小さくしようとする方法が考えられる。これらの方法を総称して速度論にもとづく防食という。
この中で化学装置の防食方法として利用できる方法には機械的にみて1つは活性態腐食の素反応の交換電流密度を低下させる方法と、他は金属を不動態化させる方法が考えられる。具体的には、前者には吸着型及び被膜型のインヒビターの添加、後者には不動態化型のインヒビターの添加及び陽極防食がある。
インヒビターは有機物、無機物の多くの化合物が知られているが、いずれも系を汚染するために通常の化学装置が扱う反応系に添加して用いられる例は多くなく、冷却水による腐食を防止する場合など用途は比較的限られている。